Q&A

インド哲学と仏教の客観的な分水嶺は何ですか?

インド哲学と仏教の客観的な分水嶺は何であろうか。 アートマンの実在性を認めるか否か? しかしそれって、実在性の定義にもよるしなぁ。有形象知識論と無形象知識論、あるいは実在論と唯名論でわけると、説一切有部(分別説部も?)とニヤーヤ、ヴァイシェーシカが同じカテゴリーで、サーンキヤ、ヴェーダーンタと中観、唯識などが他方の同じカテゴリーになるらしい。あんまり詳しくないけど。 釈尊をブッダと認めるかどうか、ったって、ヒンドゥーでもそれを認めてる場合があり、カースト否定云々としても、たとえば釈尊は出家教団外についてはそこまで言及しないし、現代のサードゥーでもカーストは無視する場合が多いよね(ラーマクリシュナもガン無視っぽい)。一方で、仏教なのに分別説部の主流派はカーストによる出家制限を設けている。 いずれにしてもけっこう錯綜していて、ばっさりと両者を区別して論じるのは無理っぽい。バクティだって明らかに浄土信仰と関わりがあるのだろうし、密教運動はそもそも仏教やヒンドゥー、ジャイナまで含んだ大きな潮流だった。 しかしそれでもやはり仏教は仏教のダルマであって、そこはやはり他のインド哲学諸派やヒンドゥーとは違うわけで、そのあたり明快に整理したいなぁ。インド哲学の素養がなさすぎてできないんだけど。