福楽寺由緒

医王山福楽寺は真言宗御室派(総本山仁和寺)末の寺院で、創建は今から約1300年近くも昔、奈良時代の全盛期だった天平18年(746年)、聖武天皇の御世にまで遡ります。

福楽寺は開基・行基菩薩と伝えられる古刹ですが、長らく荒廃していたのを文明18年(1486年)になって行順和尚が復興、6年後の明応元年(1492年)に堂宇を再建したと記録されています。
しかし江戸時代中期頃の火災により御本尊以外がすべて焼失したため、当山中興六世の真龍法印が現在地に寺を移転・再復興しました。

また、当寺は日本陸軍の父・大村益次郎の生家の菩提寺ですが、明治維新期には荻野隊(砲兵隊)の基地になったり、あるいは当時の住職が勤皇僧で後に教導職にあったり、近代にも様々な活動をしていたようです。

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御本尊

福楽寺の御本尊は薬師瑠璃光如来です。その浄土は東方浄瑠璃世界といいます。
薬師如来は、真心こめて信心する者に無病息災延命を与え、とりわけ心の病(貧り・怒り・無知の三つの悪心に落ち込んだ状態)を取り除き、さまざまな厄難をとり去ってくださるとされる仏様です。
また、亡くなった方を浄瑠璃世界に迎え入れてくださり、極楽浄土などの他の仏様の浄土と自由自在に往来して取次をしていただけると、古来より伝えられ信仰を集めてきました。

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このお薬師様は座像、桧の一木造で像高97.8㎝、当山開基・行基菩薩一刀三礼の御作と伝承されていますが、実際には平安時代中期頃のようです(平成28年の福岡市博物館・大津市歴史博物館の調査による)。

福楽寺の薬師如来の仏像は秘仏として公開していませんが、毎年2月8日「厄除け薬師法会」の日のみ御開帳しております。
当日は、8時~17時まで、自由に参詣していただけます。

境内

境内には本堂、地蔵堂のほか、宝篋印塔、子安大師、永代供養墓、荒神社、大蘇鉄などがあります。

境内は常時開放、本堂は午前7時30分より午後5時ごろまで開放しておりますので、自由に御参詣ください。ただし、天候や行事、諸般の事情で閉じている場合もあることはご了承ください。

また、庫裏の裏手には地域の鎮守である荒神社があり、当山鎮守の貴船社、また馬頭観音石塔と併せてお祀りしています。
毎年9月下旬には地域の講による「荒神祭」が厳修され、当山住職出仕の下、御法楽が捧げられます。

なお、参道脇・宝篋印塔裏手の建物は、お寺の庫裏ではありません。
お寺の庫裏は、本堂と棟続きの右側(東側)部分です。

駐車場は正面の参道脇にございます。
駐車場向かいの住宅は庫裏・寺務所ではありません。寺務所は境内に進んでいただき、本堂の右側となります。

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福楽寺の蘇鉄

福楽寺の蘇鉄は樹齢約350~400年、山口市によって天然記念物に指定されています(旧秋穂町からは昭和51年指定)。

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本堂前庭に雌雄2株あり、本堂に近い方が雌株で大きく、幹は根元の周囲が約6m、主幹の樹高は約8m、東西に水平に出ている支幹の太さは各々1.5mと1.2m、それが東に伸びた雌株の間を通り抜けています。
一方の雄株は根元付近の周囲が約4.5m。多数の支幹がこみあっていて、主幹の測定は困難です。樹高は約4m。

樹高約8メートルの雌株と4メートルの雄株という大きさは日本屈指、シルエットの美しさも素晴らしいと評価されています。

蘇鉄は3科11属300種という多くの種類がある常緑低木で、杉や松と同じ裸子植物樹木です。また、裸子植物樹木の中で最も原始的な存在で、生きた化石ともいわれています。
アジア、アフリカ、合衆国南部から中南米などに自生し、日本では九州南部から沖縄に自生しています。

福楽寺の蘇鉄は、春には雌株に赤い実がなります。実は差し上げますので、お気軽に声をお掛けください。