प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

  • '21.10.16 天田荒神社

    少し必要があり、福楽寺にある天田荒神社についてまとめました。 由来 江戸時代以前、正八幡宮東方の荒神原の岩清水の湧く場所に、かつて荒神様が祀られておりました。享保十三(一七二八)年の古文書によれば、この荒神原の荒神社は天…

  • '21.10.07 心を定める

    能求の心とは 譬えば人あって善と悪とをなさんと欲せば 必ず先ずその心を標して 而して後にその行を行ずるが如し云々 求菩提の人も亦また是くの如し まず心を起こすところから始まる。心が動いてから善悪の形が表れる。悟りへの道も…

  • '21.09.17 加持

    もしあなたが仏の与えるものを受け取るならば、仏はあなたの祈りを受け取るだろう。だからお願い事をくだくだしく述べたり祈りが通じないと愚痴を言う前に、今ここにある仏の加持をこそ信じて受け止めるのが先決で、加持を感得すれば大概…

  • '21.09.15 線香の煙

    最近は「煙の出ない線香」みたいなものが流行していますが、仏教的にはどうなんでしょうか。 弘法大師『宗秘論』に、 香は能く穢悪を除き 煙気は雲生に像る 慧雲法雨を含んで 恒に群生を潤すに擬す とあります。 つまり線香はそも…

  • '21.09.11 イコン

    如来には固定化された形はないし、すべてのものにも固定化された形はない。それらは無自性であり空である。 だからといって仏像や仏画やこの肉体や人間や動物や諸々のも無意味なわけでも妄想なわけでもなく、すべてはその姿なき「それ」…

  • '21.09.06 縁起

    弘法大師の作られた漢詩に、「十喩を詠ずる詩」という連作がありますが、その最初に「如幻の喩を詠ず」という作品があります。 吾れ諸法を観るに譬えば幻の如し(あらゆる現象やものを観察すれば、すべて譬えれば幻のようなものである)…

  • '21.08.23 〇〇らしく

    釈尊も仰せのように、「人はバラモンとして生まれるのではなく行いによってバラモンとなる」「バラモンと人は言おうとも、耕すものは農夫でありバラモンではない」「人は、為したとおりの者となる」。 ア・プリオリに人は何者かではなく…

  • '21.08.23 無明

    穢身を悪んで、仏身を尊ぶ。 これを無明と名づけ、又、妄想と名づくなり。 覚鑁「阿弥陀秘釈」 …………………………………… 縁起・無自性・空である。 無明とは何か。それは分離である。分割である。 主客相対に思考が縛られて、…

  • '21.08.21 形式と内実

    法は本より言なけれども 言に非ざれば顕われず 真如は色を絶すれども 色を待って乃ち悟る 仏法は本来ことばを離れているが、言語手段がなければ我々には理解ができない。真理も形から隔絶されているが、形によって悟ることができる。…

  • '21.08.14 お盆

    三界法水に沐し 六趣甘露に飽き 同じく愛纏を出でて 共に覚道を成ぜん すべての生き物が仏の教えを蒙り、地獄餓鬼乃至人間天界の者も甘露を味わって、皆ともに愛執から離れて覚りへの道を歩もう。 「性霊集六 天長皇帝雨乞」 ………