प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

ॐ オウム

'18.07.30

オウム真理教の地下鉄サリン事件で、死刑が執行されました。

あの事件があって、「オウム」という言葉が「気味悪いもの」という風に世間では思われてしまいましたけれど、もともと「オウム」というのはインドでは古くから使われてきた大切な言葉で、仏教でも使われ続けてきたものです。「おんころころせんだりまとうぎそわか」などの頭についている「おん」が、「オウム」です。

ではそもそも、この「オウム」とはどういう意味なのでしょうか。

「オウム」はॐ(AUM)と書きますが、もともとは瞑想のために祈りの言葉の前後に唱えられる聖なる音でした。宇宙の根本の響き、ということで神聖な音とされたのですが、意味の解釈は様々あったようです。ヒンドゥー教という宗教では、宇宙の創造・維持・破壊を象徴し、神そのものの印とされました。
仏教でも、「おんころころせんだりまとうぎそわか」のように、「オウム」=「おん、唵」を使います。『守護国界主陀羅尼経』では、仏の三身(法身・報身・応身)を表すと書かれていますが、弘法大師の『秘蔵記』では、「帰命・供養・三身・驚覚・折伏」の五つの意味があると書かれています。また、「出生」という意味もあります。

以上のように様々な意味があり、修行のために非常に大切にされ重視されてきた言葉が「オウム」なのですが、残念ながら「あの事件」以降は、世間であまり良いイメージを持たれなくなりました。
数千年も大切に伝えられて来た「聖なる言葉」が、あの事件ひとつでぜんぶ吹っ飛んだのです。
非常に残念なことなのですが、よくよく考えると、こういうことは日常的によくあります。長い間かけて積み重ねてきた信用を失うのは一瞬です。ふとした出来心で、それまで頑張ってきた生活が即座に崩れてしまいます。みんなで大切に伝えてきたものも、誰かが悪用すれば、そこまでのみんなの努力も水の泡です。

ですから私たちも、毎日毎日を大切に積み重ねると同時に、それを台無しにしないように気を付けて自分を律していかなくてはなりません。「過去の業績」など、今現在の目の前の行為ひとつで、いくらでも台無しになり吹っ飛ぶものです。
修行もご供養も同じことです。毎日毎日の積み重ねが根本ですが、油断しないで、いつまでもコツコツと精進していくことが大切です。
同時に、他の人に対しては、もしその人が悪いことをしていても、今現在の状況ですべてを判断してしまうのではなく、その人の過去の良い部分をきちんと見てあげることも大切です。そして今もし良くなっているのならば、過去の悪い部分は忘れてあげましょう。

そうやって、公平な目で、自分自身では「自分の・先祖の・先人の積み重ねてきたものを粗末にしない、貶めない」ように努力し、他の人に対してはいつも良い部分を見るようにし、「あれはこういうものだ」と決めつけずに色々な視点で見ていくこと、そうやっていれば、穏やかな人間関係も築いていけることでしょう。