論争の無益
'10.03.12実に悪意でものを言う人々がいる一方、
また他方では、真心からものを言う人々もいる。
しかしムニは、議論が起こっても、それに近づかない。
だからこそ、ムニは何があってもこころが乱されることはない。
人はどのようにして、自分だけの見方を超えるのだろうか。
人は欲に導かれ、好みに捉われて、自ら決めつけてしまう。
そのような人は、何でも解っているように語るであろう。
「スッタ・ニパータ 780-781・悪意の経」
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悪意はもとより、善意ですら無明による執着、偏見を免れない。それによって何をか語るならば、いずれにしてもあなたは業を形成しているのであって、輪廻の軛を逃れることはないだろう。
たとえ「そうではない」と思ったとしても、業はそういう「思い」で軽くなったり消えてしまうものではないのだから。