प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

'21.06.03

「性霊集四 玄興寺僧中璟」

金石薫蕕は物の対なり 賢聖愚頑なんぞよく相離れん

金と石、芳香の草と臭い草、賢者と愚者、これらは対をなした仲間であるから、分離することはできない。

…………………………

迷いあればこその覚りである。空は不空によって空であり、善は悪によって善であり、無自性は自性によって無自性であり、主観・主体は客観・客体によって主観・主体でありうる。各々、逆もまた然り。無為法ですら有為法によって無為であり、一切が無常無我であり相依性であることを免れるものは何もない。何もない。不動の一合相というものも無論ない。

そうして、「絶対的にない」ということは「絶対的にある」ことに依って「絶対的にない」と言明できるのであって、その絶対も相対を免れない。その相依的な「ない」と「ある」、とりわけ縁起と無自性、あるいは確固とした独立性や自我の観念を「不動の真理」から解放して正しく見極めるとき、その時に一切皆空という言葉が立脚点を失い、そうしてあらゆる立脚点を見出して、一切が真実に空である。

……………

『根本中頌』

空とは一切見の捨離であると勝者たちによって説かれた。しかし空見をいだくものは不治の者であると言われた。
(13-8)

空の成立する人には一切が成立し、空の成立しない人には一切が成立しない。
(24-14)