प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

つもり積もって

'21.06.04

お釈迦様のお弟子に、目連尊者という方がおられます。
この方は立派な僧侶として有名だったのですが、ある時、ふとしたことで実の母親が餓鬼の世界に堕ちて苦しんでいることを知ってしまいます。
もちろんお母さんは犯罪者でも悪人でもなかったのですが、あまりよくない境遇に生まれ変わってしまい、苦しんでいたのです。
そのお母さんを救うために「施しの修行」をして、その結果ちゃんと救われた…というのがお盆の始まりとされていますが、そもそもどうして「普通の人」だったはずのお母さんが餓鬼の世界に堕ちてしまっていたのでしょうか。

人は「つもり」の心で生きています。
「ちゃんと子供をかわいがったつもり」「一生懸命に仕事をしてきたつもり」「頑張ってあれもこれもやってきたつもり」。
確かにみんな頑張って来たでしょう。それは本当だと思います。
でも、そこに「自分が気持ちよくなるために」「家族が楽になるために」というような、「私たち中心」の心がなかったでしょうか。赤の他人はどうでもいいけれど、自分達だけは、我が子だけは…という心。
その心を、「餓鬼の心」といいます。幸せが、モノが、お金が、健康が欲しい。欲しい。自分たちにそれが欲しい。
そういう自己中心の心に気づかずに「一生懸命に頑張った」としても、そこに赤の他人に対する慈悲の心や「私たちは何もなくとも、あなたたちにはこれをあげたい」という施しの心がなかったなら、まったく意味がありません。
そういう「頑張ったつもり」がつもり積もって、目連のお母さんは餓鬼の世界に行ってしまっていたのです。

お盆はご先祖様や亡くなった親しい人を供養する期間ですが、それとともに「すべての亡くなった方々に」「餓鬼の世界で苦しんでいる人たちに」対しても心を向けて、自分や家族だけではなく、生きとし生けるすべての存在に等しく慈悲の心を持った人間になれますようにと、そう祈り決心する期間でもあります。
どうかそういう広く優しい心を持って、お盆を迎えていただければ、きっとご先祖様も喜ばれ、また救われていくのだと思います。