प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

お盆

'21.08.14

三界法水に沐し 六趣甘露に飽き
同じく愛纏を出でて 共に覚道を成ぜん

すべての生き物が仏の教えを蒙り、地獄餓鬼乃至人間天界の者も甘露を味わって、皆ともに愛執から離れて覚りへの道を歩もう。

「性霊集六 天長皇帝雨乞」

…………………………

ご先祖様、故人がお盆に「帰ってくる」とは、どういう意味でしょうか。普段はここにいないのでしょうか?
お盆は大切な人やご先祖様を思い起こし供養する時ですが、同時に、大きないのちの流れを意識して、みな同じひとつのいのちの中にいるのだ、海と波のように・・・と、生きとし生けるすべてに感謝する時でもあります。

さて。

お盆は旧暦7/13〜16、今の暦では一ヶ月ほどずれまして、8/13〜16の期間になります。七夕も本来は盆行事で、旧暦7/7、つまり新暦では8/7頃に準備を始めます。

お盆には、よくこんな質問を受けます。

「ご先祖さんが帰ってくると言うが、では普段はお祀りしなくていいのでは?」…あるいは、「お墓と仏壇のどちらに先祖がいるの?」

…等等。
皆さんはどう考えていますか?

簡単に言いますと、ご先祖さんあるいは故人は、手を合わせるところいつでもどこにでも本当はおられます。ただ日常、私達がそれをなかなか意識していないだけ。
仏様の世界はクラウドみたいなもの、あるいはラジオの電波みたいなもので、いつでもどこでもあるんですが、スイッチを入れて集中しなくては、なかなか繋がっていることを意識できないものです。

人はなかなか普段は忙しさにかまけてしまうのですが、時期を区切り、改めて姿勢を正してご先祖さんに向き合う機会を作ることで、繋がりを回復していけます。そうやって「自分の心を開いて心新たに先祖を迎える」、それを「ご先祖さんが帰ってくる」と表現しています。

自分の心の中に迎え入れたご先祖さんは、同時に他の人の心にもいるし、浄土にもいるし、来世にもいます。どこにでもいるのです。
あとは、手を合わせる方が会いたいと願うかどうか。

ただその「会いたい」が執着になってはなりません。執着は「どこにでもいるご先祖さん、親しい故人」を、「ずっとここだけに」縛る心ですから、それは大きな世界、大きないのちの流れを堰き止める行為になります。
そうではなく、手を合わせる時に自分自身が大きな世界・流れのなかにあり、ご先祖さんや故人とその都度に新しく出会うのだ、という気持ちでいてください。

それでは、よいお盆を迎えられますように。