प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

死後の魂

'20.10.14

死後の魂があるのかないのか、なんて事、たまに議論になります。

私は別にどっちでもいいのですが、その類の議論を聞いてて気になることがひとつあります。曰く、「仏教では魂を否定しているのだ」という類の発言がまま見られますけれど、だから「輪廻はない」ということと接木して論じるのはちょっとおかしいのではないか、ということです。
無我説と輪廻説が矛盾している、というのは自明の事なんですかね?
この肉体は常住不変の実体ではなく、たまたま縁によって成っている仮設のものに過ぎないのと同程度のリアリティーで、魂というものがあったとしても問題ないと思うんですが。それが輪廻してちゃ何か不都合でも?
固定的実体的魂はあり得ないのですが、縁生縁滅の魂まで「ない」と断言する論理的根拠はどうなんだろ。「魂」が不変の絶対的存在だというのなら問題ありますが、「魂」というだけで、それを勝手に「不変の実体」と同置して否定するのは、ちょっと無理のある論理展開ではないかなぁ。

覚って解脱しない限り、無明があり、また仮設された縁生の魂もある…というのがそんなに非仏教的とも思わないですが。そこまで否定すると、却って論理破綻を起こしてしまうでしょ。

もちろん縁生無常の魂など歯牙にもかけず、真如大海の一を覚すべきが仏教の大道ですから、魂の有無を証明すべき大問題としてかかずらう必要はないでしょうが、もし「ない」のであれば、釈尊は五蘊無我とかは説かずに、端的に「そんなもんないよ」と一言でお仕舞いにしていた筈です。
私たちは断滅論・常見論ともに離れなくてはなりません。