光明真言の唱え方
'08.11.29仏様に守ってもらう、ということをよく言いますが、何もしないで助けてくれ、というのは都合がいい話です。私たちも努力しなくてはいけません。
では、どういう心を持てばいいのか、弘法大師空海は、『大日経開題』という著書に、こう書いています。
加持とは古くは仏所護念といいまた加被という。然れども未だ委悉を得ず。加は往来渉入を以て名と為し、持は摂して散ぜざるを以て義を立つ。即ち入我我入これなり。
現代語訳は、以下の通り。
加持とは、古くは仏が守り加えると訳す。しかし、これではまだ言い尽していない。加は互いに出入りすること、持は把握して離さないことである。仏と私の相互の往来である。
仏様の助け、守りをしっかりと信じて、それを離さないことが大切です。「なんとなく」の心では、「なんとなく」しか助けてもらえません。自分がそれをしっかりと受け止めるんだ、という心が大事なのです。
具体的にはでは、その心をどう形に表せばいいのでしょうか。それは、光明真言です。
弘法大師の『秘蔵記』には、こういうふうに唱えなさいと、書かれています。
光明念誦とは口より光明を出すと念想して持誦するのみ。それ声を出すにも出さざるにも、常にこの念を作せのみ。
現代語訳は次の通りです。
光明真言念誦とは、口より光明を放つと観念することである。声を出す出さぬにかかわらず、いつもこの観念を持つことが大切である。
心は形に現れます。乱れた心は乱れた行いになるものです。
逆に、心が乱れていても、形を整えることで、いずれ心も美しくなっていきます。
形は大切です。心も大切です。どちらから整えても良いのですが、いずれはどちらも整えていく必要があります。そのために、光明真言という仏様の光を自分のものにする修行があるのです。