प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

聞く耳

'16.08.15

哀哀たり末世の諸の元元 聾瞽にして聖者の言を屑にせず

哀しいことよ、末世の人々は、目も耳も塞いで聖者の言葉を学ぼうとしない。

「性霊集一 喜雨の歌」

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お盆によく語られる目連と母の話があります。
神通力で目連が亡き母の行く末を見たところ餓鬼界に落ちてしまっていて、釈尊に相談して布施行をなして母を救うという「盂蘭盆経」の話です。
もちろん、供養回向の功徳により縁者が仮に苦界にあっても救われる、だから施しは大切だという、布施の初門の素朴な話です。
ここから三輪清浄の布施に繋げていくわけですが、この話を聞いて「私に地獄に落ちろと言うのか」と怒り出してしまう方もおられます。思い込んでしまえばもう何を言っても話にはなりません。

これは極端な例かも知れませんが、大なり小なり、自分のモノサシで曲解して私たちは喜怒哀楽に振り回されています。日常の何気ない話ですらこうですから、聖典経典のように、時に常識をひっくり返すような言葉があった場合には尚更のこと。いつもよく真意を確かめながら、謙虚に耳を澄まして聞きたいものです。

それにしても、話をするのはいつも難しく、私も心が折れながらやっています。