प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

般若心経の信心

'12.06.10

般若心経とは、正式には『摩訶般若波羅蜜多心経』といいます。六百巻もある膨大な『大般若経』の、もっとも短い、小さなお経です。小さいですが、素晴らしいお経です。

さて、『摩訶般若波羅蜜多心経』の摩訶とは、「大いなる・絶対の」、般若は「智慧」、波羅蜜多は「到彼岸・完成」、心は「心髄」、経は「教え」ですので、「大いなる絶対の智慧の完成により覚りへ到る教えの心髄」という意味になります。

実は仏教には「六波羅蜜」という教えがあります。
「布施波羅蜜」以下、「持戒波羅蜜」「忍辱波羅蜜」「精進波羅蜜」「禅定波羅蜜」そして「智慧波羅蜜」の六つです。これらは修行の項目ですが、この場合の「波羅蜜」というのも、それぞれの修行を完成させて覚りへと到る、という意味があります。

つまり「布施波羅蜜」というのは、自分がもっているものを他の為に捧げ尽す修行を完璧にすれば覚りに到る、ということ。「持戒」なら十の戒律を守り抜くことを完璧にする、「忍辱」は忍耐の修行を完璧に達成する、「精進」は不断の努力を完璧にやり遂げる、「禅定」は仏教の修行を完璧に完成する、それによって人は必ず仏と同じ覚りを得る、ということです。
その最後が、「智慧波羅蜜」ですが、智慧は般若と同じ意味ですから、「般若波羅蜜」とも言います。これは仏の教えをしっかりと聞き、考え抜き、理解し尽して世界の真実をはっきりと見極めるという智慧を完成させて、仏の覚りを得る、ということです。このことを簡潔に説いたものが、般若心経です。

これら六つの修行は、すべてをやり抜くのが最高なのですが、現実にはすべて難しいことです。並みの人間にはほとんど不可能です。

そこで、その中でもっとも中心で根本になる道が、「般若波羅蜜」とされています。他の五つの波羅蜜はすべて、この般若波羅蜜を根本にして生まれてきます。
この「般若波羅蜜」は仏の智慧をそのまま受け止めて考え、認識し、自分の心をガラリと変えて、仏の心に一致させる修行の道です。ですから、どれかひとつを選ぶとすれば、この般若波羅蜜を選ぶべきです(他の五波羅蜜ももちろん心に留めつつ)。
ただこれも、非常に難しい道ではあります。

しかし「般若心経」では、この「智慧の道」を、ひとつの言葉の中に込めて、これを信じて唱えることで、智慧の功徳が自然に私たちの心に徐々に染み込ませることが出来る、と教えています。それが、「ギャーテイ・ギャーテイ…」の真言です。これを心から信じて唱えることで、少しずつ、私たちの心に仏の心が染み込んで、いずれ覚りの境地に到るのです。宇宙とひとつの存在になれます。

実は光明真言もこれと同じ力があります。ですから般若心経を唱え、光明真言を唱えることは、仏の心をそのまま頂き、自分の心・命が少しずつ仏の心・仏の命・仏の光とひとつになっていく、その最も正しい方法なのです。そしてこの功徳を亡き人に向けることは、同じ働きを与えることになります。この心が、仏教の供養の心です。
それを信じて、これからも般若心経・光明真言をしっかりと心に受けて、信心をしていきましょう。