प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

'20.12.02

三界の業報 六道の苦身
即ち生じ即ち滅して念々不住なり

これまでの行いの結果としてこの世で来る心で生きている。生命は生滅を繰り返して一瞬たりとも留まることがない。

「吽字義」

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カルマ、業については差別の問題があり、近年は避けられがちなテーマではあるけれど、善因楽果・悪因苦果は過ちなき事実であるというのが仏教の立場であれば、たとえば今の苦しみや境遇は過去のカルマの結果であることは疑いはない。
ただ気をつけなくてはならないのは、因は一つではなく複合的であること、共業というものがあること、そして「現在の結果」は実は結果ではなく、過程にあるということ。今の業が未来に働きかけていく。念々不住。そこに本質も解答もなく、プロセスの一部を切り取り固定化して差別をするならば、した者こそがいずれ苦の果を結ぶだろう。
いずれにせよ業は動くのだから、今為すことがすべてだ。さらに言えば、人間に生まれている時点で、仏道を歩む・また触れる機縁があり、これは生半可なことではなく、それだけで過去に善業あったればこそ。
同じ時代、同じ地球にともに生きている仲間は、みな大なり小なり苦に引かれながら、過去の業を消化し、また現在に業を形成して生きていく。手を取り合い、助け合いながら生きるしかないし、慈しみ睦み合う社会を作らなくてはならない。みな大同小異なのだから。