प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

真っ黒な絵

'16.06.26

私たちはどうしても、ものを一面的に、自分の考えを中心にして見て判断してしまいがちです。そうやって、相手の本当の心を誤解して他人を傷つけてしまうことも多いものです。「あぁ、自分の見方が間違っていた」と気づけばいいのですが、大抵は誤解したままで過ごしてしまいます。

仏教学者の木村清孝氏の著書に出ていたエピソードですが、ある自閉症の男の子A君がいました。
支援学級(昔は養護学級とも言いました)で、「お母さんに感謝の絵を描きましょう」というテーマの授業があったのですが、A君は、赤・黄・緑のクレヨンでいくつか丸を描き、その後で画面いっぱいを黒に塗りつぶしてしまった絵を描いたそうです。
完成した絵は、赤・黄・緑の丸はぜんぶ消されてしまい、ただ真っ黒な一枚の絵が残りました。

先生はこの絵を見て悩んだそうです。

「何か不満や、怒りがあるのではないか」「家庭環境や学校に問題があるのではないか」「この子は大変な子供かも知れない」と。おそらく頭の中では、心理学的にどういう意味があるのだろうか、ケアをどうしたらいいのだろうか、お母さんにどういう話をしたらいいのだろうか…と、色々な思いが渦巻いていたと思います。

ところがお母さんに絵を見せてこの話をしたところ、お母さんは自閉症の我が子に向かい、「ありがとうA君、お母さん嬉しいよ」と。

実は絵を描く前日に、A君とお母さんはふたりで買い物に行って、リンゴとバナナとメロンを買ったそうです。この果物はA君が大好きな果物で、その果物を買って、大きな真っ黒のカバンに入れて家まで持って帰って、おいしく食べた。
だからA君は、その果物を赤・黄・緑のクレヨンで丸を描いてあらわして、それを真っ黒のカバンに入れたことを画面を真っ黒にして赤・黄・緑の丸を塗りつぶして隠すことで、「買い物ありがとう」を表現したわけです。
カバンに入れたら、果物は見えなくなります。だから、塗りつぶして、見えなくした。

結果、絵としては「黒一色」になってしまったんです。

このように、私たちは、この「真っ黒の絵」だけを見て「なんだこれは」「おかしいんじゃないか」と考えて、「A君はおかしい」と思いがちですが、お母さんは「ピン」と理解して、A君に「ありがとう」と言えたわけです。A君はお母さんにそう言われて、とても喜んだそうです。

私たちも日常生活の中で、自分の見たもの・聞いたものを、自分のものさしで勝手に「ああだこうだ」と判断して相手を「こうだ」と決めつけてしまいがちですが、実はもっと違う意味や思いがそこに隠されていたりするものです。
仏教は、そういう「決めつけ」をやめましょう、もっともっと、自分が思うよりも違う意味・相手の思いがあるんだよと、そういうことを教えています。

難しい教義や思想哲学もたいへん素晴らしいですが、日常生活の中で、「決めつけ」や「自己中心」を手放して、もっと融通無碍に考えてものを見る、ということの方が難しく、大切です。
私たちも、時には自分の心を見直して、「自己中心じゃないか」「相手の気持ちを勝手に決めつけてないか」ということを考えてみるのも、大切なことではないでしょうか。