प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

素直な心

'19.12.27

羝羊の冬樹は乍ちに春苑の錦花を披き 異生の石田は忽ちに秋畝の茂実を結ぶ

愚鈍な者も教えに従う心ができれば、冬枯れの木に花を咲かせ、石ころの畑に作物を実らせることができる。

「十住心第二」

…………………………

仏教の第一歩には、素直な心が必要である、ということ。人は大抵は意識せずとも、それまでの自分の僅かな経験や思い込みや願望によって、何かしら既に「好ましき解答」を抱え込んでおり、自分の常識に逆らう、あるいは好ましくない教えに抵抗し、受け入れないものである。ここに高慢や自らの知識や経験への誇り、地位や人間関係などの感情が付随して、仏法そのものを学ぶ姿勢を崩してしまっている。
これらは極めて愚かであるけれど、あらゆる人に纏わりついて、自己一身における正法の建立を妨害している。いったいどこに、素直な心が見出せるだろうか。春も来ず、秋の実りも期待できないのが、僕たちの実際である。
しかし、それでも常に聞思修、戒定慧の道を歩まなくてはならないし、強固な自我意識の無根拠を念じつつ正法を掲げて実践せねばならない。

ただしこれは一歩間違えると、愚かな妄想やカルトに「素直に」従ってしまいかねないという事態を引き起こす場合がある。
素直な心は盲信とはまったく、違う。
だからこそ、まずは自分のアタマで学ぶ、確かめるというプロセスは絶対に必要だ。最初から文字通りに信じればいいというのではなく、吟味し、否定してみて、それでもやはり確からしいという道を求めなくてはならない。そしてその道にはきっと釈尊や先師先徳もおられるし、行く手には空性の輝きが満ちているはずだ。