प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

殺生

'18.05.05

仏教の戒律、戒めの第一は「殺してはならない」です。
これは人間を殺してはならないだけではなく、動植物すべての生きとし生けるものを殺してはならない、ということです。
もちろん私たちは食べなくてはなりませんから、これを完全に守ることは出来ません。しかし、殺さねば自分が生きて行けないことを自覚し、常に感謝と申し訳なさを思いながら、手を合わせて食事をいただくことが大切です。

つまり私たちは、生きることと殺すことが絡み合った人生を歩いているのです。

さてそこで、そもそも「殺す」とはどういう行為を意味するのかを、今日は考えてみたいと思います。

『観経疏』という書物に、殺生に三種類あると書かれています。口殺と身殺と心殺です。
口殺とは、口で指示して殺させることで、身殺とは自分の体で殺すこと、心殺は頭で想像して相手を殺すことです。ここで「殺す」というのは、たとえば刺すとか殴るということだけではなく、相手を抹殺したい・消したい、あるいは存在を認めない、ということまで含みます。
このような口と身と心の行為のうち、根本は心です。すべてはここから始まります。このよう心を反省せずに持ち続ける人は、「浄土に生まれることができない」とされています。
しかしそういう心は誰しも多少なり持っています。持っていないようでも、木材も摩擦すれば火がつくように、縁があると人の心は「心殺」に傾いて行くものです。
誰でもそうなのですが、問題は、そういう悪い心になった時に、「あ、これはいけない」と気づいて、善い心になろうとするかどうか、です。その心がけがあれば、その人は浄土が約束された人になります。
そのためには、人を否定したり排除したりすりような心、憎い心がわき上がったとき、一歩立ち止まって、慈悲の心を意識することです。

最初は難しいかも知れませんが、「みんなそれぞれ幸せになりたい人たちばかりなんだ、心底からの悪人はいない」、あるいは「自分自身がお母さんに迷惑をかけたけれど、いつも面倒をみてくれた」と思い、慈悲の心を持つように忍耐強く過ごしてください。たとえ失敗しても、その心がけがあなたを救ってくれます。必ず、仏様やご先祖様が見ておられ、ちゃんと認めてくれます。
また、そういう心がけは徐々に相手にも伝わります。そうすれば、みんな心が融けていきます。自分中心ではなく、相手のことだけを思って、慈悲の心を育てていけば、「心殺」の心が、本当の「親切」の心に変わっていくでしょう。