प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

'18.03.12

「信心や信仰」と「社会実践」はどちらが大事か…と対置して言われることもあるようです。池に落ちた石に「浮かんでくれ」といくら祈ってもそれはたぶん、浮かびません。実際に池に入り石を探して取るという実践が重要です。

が。

そもそも「浮かんで欲しい」という願いや祈りなきところ、誰もわざわざ池には入らないでしょう。

(自他ともに対して)苦を脱したい、本当の救いや知見を得たいならば、まず「そうでありたい」という菩提心が必要。だから実践の前には菩提心、祈り、信が必要なのです。そうして必ず、それを基にして実践していく。
そして仏教における「石」とは、石なき石であり、「欲しい」と思えばスルリと手からこぼれ落ちるもの。空。信や祈りなき実践は結局は徒労であり、究極的には何も実りません。
だからそこに気づき、取らずして取る、という次の段階に進まなくてはなりません。
その方法が、大悲です。大悲あれば空智が把握され、真の菩提心になります。
そうして池に飛び込めば、手に触れるもの目的の石ならざるはなし…なのです。