प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

aとbと…

'12.11.03

僧侶としての本分で苦労するならまだしも、そうじゃない所での(くだらない)細かいトラブルの積み重ねは本当に疲れる。正直なところ、嫌になる。

まぁしかし、それを通して自分の至らなさを自覚できる部分ももちろんあるし、感謝すべきなのかも知れないけれど、とは言え、ねぇ…。世の中には私の常識では信じられないことが色々とあり過ぎる。恐ろしい。

こういう時に助けになるのはやはり、仏教しかないんだな。自分の感性だけだと間違った方向に感情が行ってしまうから…。特に仏伝を読むと、良い方向性が見出せる。少なくとも、間違った方向は見えてくる。気の持ち方のね。
やはり釈尊は偉大だ。

ものの関係性というのは、たとえばaがあってbがあるのだけれど、bはaがあるからbなわけで、aがなければbではない。私がaだとすれば相手がbなわけだから、私が仮にaでなくなれば、実は相手もbではなくなる。
「bが嫌」なら、相手を変革することはそも困難なのだから、取り敢えず自分の「a性」が変われば、少なくとも現状の「a・bの関係性」も変化し、「b」は「非a」の私からは「非b」と見えてくる。新しい局面になって来るわけだ。良くなるかどうかは別として…。
因縁果の構造は複雑だけれど、その場その場で受け止めなくてはね。宿命論は嫌いだけれど、縁の部分を精一杯に動き、果は粛々と受け止める。生きるなんて、多分どこまでいっても、凡夫人である限りはその繰り返し。

んな事を考えつつ、一方ではそんな簡単に物事が済めば苦労は無いぜ…とも思うわけ。
あぁ、覚者の境地を知りたいもんだ。仏教学的なアタマの理屈じゃなく、一瞬の恍惚でもなく、ありがちな思い込みでもなく、真実、腹の底で。

いずれにしても、忍辱精進。一日一生。