覚性源本
'12.01.23私が死を迎えるその時は、目と鼻の先にある。
しかしだからと言って、長生を望むべきだろうか。
宇宙はいずれ終焉するし、その遥か以前に太陽は冷たくなる。
太陽が冷たくなるよりも以前に地球は焼け落ちるだろうが、
その瞬間を人類が目にすることはないだろう。
人類が滅ぶのはそのもっともっと以前の事だろうから。
そして私の死は、見える距離だ。
如何に長生したところで、時間の問題に過ぎない。
波はどれほど大きくとも、いつか凪になり、大海は鏡面となる。
虎は死して皮を残し、人は死して名を残すとは古人の言。
しかし宇宙の 否 地球の 否 人類の 否
「この私の」死という現実の前に
いったい何程の意味があろうか。
積み上げたものはすべて、移り変わり、滅する。
モノもカネも名誉も友人も家族も愛も悲しみも誇りも。
人生とは何か…生きるとは何か…なぜいのちがあるのだろうか。
いずれすべてが
掛値なく すべて が夢幻と消え、跡形もなくなり、見る者もいなくなる時が来る。
静寂。
その静寂を感じる者はどこにもいないだろう。
誰も感じない静寂など、果たして静寂ですらない。
この人生は、それだけでは無意味だ。
何をなすべきか。
移りゆくものは美しい。愛しい。しかしそれだけでは無意味だ。
何をなすべきだろうか。
静寂の根源にあるもの、存在それそのもの、見る者なき主客孤絶の__
「それ」…という指示代名詞で指示せない「それ」 __
それをこそ覚しそれに還ること。
還るとはいえど、それは不動の還帰行。
それこそが、移りゆく無常の宇宙の本当の姿だ。
それこそが、移りゆく無常の我々の本当の姿だ。
それを知らぬなら、諸行は果てしなく美しい幻花に過ぎない。
幻花を愛でるのをやめよ。
幻花を通して実花を看よ。
実花を看てこそ幻花は真実に輝く。
移りゆくものは、なんと美しいのだろう!