प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

暴力団と葬儀

'11.08.28

島田紳助が色々と話題になっていますが、この秋には東京と沖縄で暴力団排除条例が施行され、これで全都道府県で暴力団排除条例が行き渡ることになります。
もちろん日常生活で「密接に暴力団と関わりたい」なんて私も思っていないですけれど、ただ、この条例が暴力団を排除したいがために、例えば寺院が暴力団幹部の葬儀や法事をすることも制限しようというのなら、私はこの条例には反対します。

僧侶である以上、どのような人であっても(仮に殺人犯であれ)、死んでまでも生前の行いによって分け隔てをして葬儀もしない、追善・追福の回向もしない、受戒もさせない、などということが出来るでしょうか? すべきでしょうか? 
まさにそのような場においてこそ仏法を実践し、亡者回向し、また列席者に僅かなりと仏法を聞かせることが必要なんではないでしょうか? それを放棄してしまって、それで仏教者と言えるのでしょうか?

確かに葬儀が組の示威行為になる場合もありますし、まさに葬儀禁止の条例はこの防止を狙ったものでしょうけれど、それは飽くまでも世俗の論理であり、仏教的・宗教的にはそれは二の次で、本質はあくまでも「葬儀」そのものの意義にあります。
世俗的理由で葬儀そのものをしないだなんて、それはあり得ないでしょう。示威行為に関する対策は、それはそれで立てていただければ良いのであり、葬儀自体を禁止するのは(そして寺院がそれに唯々諾々と従うのは)正気の沙汰ではありません。

罰則まであるそうですが、これは宗教者の役割を国家権力で制限しようとする、一種の宗教弾圧でしょう。実践の根本に関わる、そのくらいの問題です。