प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

信・知・思い遣り

'19.06.14

仏教…のみならず、宗教においては一般的には信仰・信心が重要とされています。然り、それは正しい。信心為本、仏法へは信を以って能入とする、などという言葉もあります。
しかし、とりわけ仏教においては、何でも信じれば良い、わけではありません。「信」には色々な意味合いがありますが、常に知性を忘れてはならないのです。道理に合っているか、思い込もうとしていないだろうか、その信仰・信心は一種の取引や逃げの口実になっていないか。きちんと自己批判しながら吟味してゆく知性が大切です。

では、信心と知性があれば十分でしょうか?

まったく不十分です。

信心や信仰熱心でありながら戦争をする、他者を排除したり傷つける行為は古来いくらでもありました。知性があっても、それを使って同じように自己利益を図り他者を貶める所業を為す者は後を絶ちません。知性がある敬虔な信者が、他者を迫害する歴史は枚挙に暇がないのです。
外国の話ではなく、日本でもたくさんありましたし、今もあります。

大切なことは、信仰・信心と知性を両輪として、それをしっかり操縦する運転手、御者が必要である、ということになります。運転手が暴走すれば、信仰・信心と知性を両輪とする車は他者を轢き殺す凶器になり得ます。

ではその運転手とは何か。

それこそが、慈悲です。あるいは、愛と表現する宗教もあるでしょう。その慈悲、愛、より一般的には、思いやり。他者と共に生きる覚悟。想像力。傷つけ合わない平凡な幸せを互いに保証し合おうとする協働。穏やかな平安。我ひとり、ではなく、みんなが安心して起き眠りにつけるよう気を遣う。

この心こそが、運転手・御者です。
その運転手・御者がいればこそ、信仰・信心や知性は最大限の幸せをあなたや世界にもたらす力を発揮します。だめな運転手・御者であれば、事故は必然です。
そして、良き運転手・御者にはよき車が必要です。信心・信仰と知性は、自分の出来る限りは磨き続けなくてはなりません。定期的な車検を受けるように、メンテナンスも大切です。

信心・信仰、知性、それと慈悲・愛。

およそ宗教なり信仰なりを意識する者であるならば、仏教であれキリスト教であれイスラームであれ、この三つは必ず必要です。また、仮に特別な信仰がなかったとしても、たとえば「信念・目的、知性、慈悲・愛」の三つが、幸せな人生には必要でしょう。構図は普遍的なものです。

つづめれば、思い遣り。
陳腐に聞こえたとしても、やはりこれが根本です。