प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

女性差別

'18.02.24

もし人法二空を了して心に取捨なければ 凡聖善悪一如なり

人も存在も空であると悟れば、取得と放棄、凡人と聖人、善と悪という区別がなくなり、いずれも平等になる。

「一切経開題」

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仏教において、男女差別や階級差別というものは無意味です。そもそも門地においては「生まれを問わず、その行為によって人はバラモンである」というのが原則ですので、生まれや民族人種による差別はあり得ません。

女性差別についてはもう少し複雑な議論が必要ですが、巷間に言われるような女性差別は、仏教の原理からは正当化出来ないものですから、歴史上さまざまな「仏教における女性差別」というものの出所は、当時の世俗社会の価値観の反映であり、仏教そのものの立場とは議論を分けるべきでしょう。五障説などもそもそもは否定される文脈で出てきたものが、肯定的に受容されて喧伝されたりしましたが、釈尊や弘法大師や日蓮聖人は女性をまったく男性と同様の機根と考えましたし、龍樹菩薩などはその原理上、問題にすらしていません。

ただし修行実践上の実際的な区別はありましたし(生理的、また治安的、現実的な観点からそれは必要でもあった)、それぞれの社会状況や時代状況の中で制度的な問題点もありましたけれど、成就への道において性別そのものが壁になることは一切、仏教においては認められません。
時に尼僧や女性が自分を卑下したり劣位に自ら置いてしまい、消極的な態度であったりしますけれど、もっと積極的に頑張って欲しい。同時に、グチグチ「男は~女は~」と言わないで欲しい(もちろん男性も)。仏法において性別は関係ありません。

同時に既存の制度は男性中心であるのも事実だし、女性を下位に置く感覚もいまだにあります(尼僧に法事に来られたらいやだというような感覚…年配の女性にもこういう人が意外に多い)。そのあたりしっかりと改善を進めつつ、我々は認識を改めながら、同時に教学や実践において尼僧自身しっかりとやって欲しいと思います。一部、半人前扱いを「楽だから」と甘えている場面も散見しますので。