博識
'21.05.08譬えば人、水に漂さるるに、溺るるを懼れて渇きて死し、説の如く行ずる能わず。多聞も是の如し。
『華厳経』「菩薩明難品」
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博識な人は素晴らしい。彼に学べば私たちも色々なことを知るようになる。知識は力だ。
ただしそれは、あくまでも家を建てる時の足場のようなもの。足場そのものに究極的な価値があるわけではない。必要だが、目的ではない。
様々な情報や知識の洪水で巷は溢れている。しかしあまりに多くの情報に囲まれてしまい、無秩序な洪水を恐れてそれを制御しようとし、それを追うことに汲々として、そうして次には他者と比べて自分の知識(治水された水)が多いか少ないかという思いにとらわれて、それをかき集めて展示して自慢や卑下の材料にしてしまう。
それはあたかも、情報の洪水の水をかき集めては自分の水槽に貯めてその水量をいつも気にしているようなことで、そこにこだわってしまうと渇いたときにそれを飲まなくてはならない、ということも忘れてしまう。
足場を美しく堅固に組み、その造形美を競って、遂に家が建たないようなものだ。