प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

母の恩

'18.02.27

提挈する者は親なり 遠きを追う者は子なり

子を育てるのは親であり、亡き親を供養するのは子である。

「性霊集四 酒人の遺書」

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「母の恩」と言っても、「おとーさん、おかーさんをたいせつにしましょー」という笹川流の俗流道徳を押し付けたいわけじゃありません。修行に関わる根本の話です。

『三十七の菩薩の実践』という本の10節と11節に、「無始以来より私を愛してくれた母たちが、苦しみもがいているならば、自身の幸せなど何になろうか。それゆえ、限りなき衆生を救うために菩提心を生起させる。それが菩薩の実践である(10)。あらゆる苦しみは自らの幸せを追い求めることより生じ、悟りは他者のためを思うことより生ずる。それゆえ、自己の幸せと他者の苦しみをまさしく交換する。これが菩薩の実践である(11)」という文章があります。
11は「トンレン」という菩提心のための基礎的な修行方法ですが、その前提となる考え方の典型が、10に示されています。
最近は「毒親」という単語もあり、また昔から家庭内の虐待や暴力・ネグレクトも、ニュースに報道される悲惨な事例を見るまでもなく、世の中の現実ではあります。「親は無条件に尊い」などと言うことの難しさや受け入れ難さも当然、わかります。
しかしこれを「母性」と考え、生まれ変わり死に変わりする流転の輪廻の中では、必ず僕たちは母性によって育まれながら、ここまで流れ着いているのです。もし無始の昔より母性とまったく関わったことがないならば、僕たちは優しさや愛情という観念すら欠片も持てていないはずであり、いやむしろ、人間に生まれてくるだけの善業を為すこともできないのです。
ですから、「母」と言われることに抵抗があるならば、まずは理念としての「母性」と受け止めるところから始めてください。

さて、具体的な考え方ですが、まずは皆、輪廻の中で父となり母となり子となり友人となり敵となりながら、絡み合いながら縁という網の中で生きてきました。つまり、赤の他人でも敵でも、あるいは動物でも虫でも、かつてあなたに「母性を示してくれた」存在であると考えます。また実際に、恐らくはその通りなのです。
人は恩を返すことが、善業の第一歩です。今は敵であっても、その人はかつて母であったのです。そうしてあなたも、恩知らずにも誰かの迫害者であった時があるのです。
過去はもう過ぎたことであり、未来は来ていません。あなたが行動できるのは、今しかないのです。恩を返すのは今です。すべてのひとを母として、かつて母性で包んでくれた恩人として、現世では仮に敵であっても、僕たちは今、そのように考え、そのように見て、そのように慈愛を持ち、恩を返すべきフェーズにあるのです。
異常な攻撃を被る時もあります。しかしそれは母が錯乱しているのです。哀しみを持ち、仏法によって母を包むべきです。その恩を思い起こし、勇気と忍耐を持ち、トンレン(11)を行うべきです。
これが、「世俗の菩提心」の第一歩です。
この心を確立して、そうして本格的な仏法の修学が始まります。ここを飛ばして教学だの実践だの、空だの加持だの往生だのを論じても、中身のない飾られた空き缶でしかありません。