प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

懺悔と発心

'18.01.12

覆えばすなわち長劫に偽獄に沈み 発陳すれば仏の真容を見る

悪を隠せば長く地獄に沈む。悟りを求めれば仏の真相が開く。

「金勝王経伽陀」

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悪や煩悩、迷い、無知…それらが今あることは致し方がない。仏にならなければ完全にはそれらを断絶したり完璧なコントロールはできないのだから。だから発心する必要があるのだけれど、その前提が「覆わないこと」つまり「自分の中の悪や煩悩を隠蔽しないこと」である。他人に対して粉飾しないことももちろんだけれど、より以上に、自分自身に対してそれを無視したり合理化したりしないこと。しっかりとそれを見つめる必要がある。
そうして、「所詮は人間だから」と言うのではなく、絶えざる懺悔懺悔懺悔…そうして何度も何度も発心し、一進一退だとしても、勇気を持って懺悔→発心を繰り返し、諸ブッダの示された仏道をヨチヨチ歩き続ける。生涯で進歩がたった1センチであっても、それは1センチの仏となるのだから。素晴らしき哉。

因みに「劫」というのは長大な時間の単位だけれど、修行上にあってそれは時間ではなく、迷いの厚みのことである。1000年の漆黒の深い闇であっても、光は一瞬でそれをぬぐい去る。闇がモノに付着することは決してない。小さな光を灯すだけでは無意味に思えても、それを大切に育てれば、一本のマッチで全世界を焼き尽くすことは可能なのだ。