法身説法
'19.05.14「法身説法」と言ってイメージするのは、風や花、鳥や月なんかを眺める中で仏の言葉を聞く…なんていう非常に情緒的な話になり、まぁそれはそれで間違いじゃないし結構なことなんですが、裏付け的な話でなかなか面白い文章があったので、紹介します。
「周知のように、全ての密教の中でツォンカパが最も重視したのは、『秘密集会タントラ』の聖者流である。そして、その実践は、観想や念誦を主とする準備的な行としての生起次第と、精神生理学的な瑜伽によって風と識をコントロールすることにより、自らの身心を仏の色身と法身へ転換する本行としての究竟次第という、いわゆる「二次第」から成る。その内、究竟次第については彼の『五次第明灯』に詳しいが、その最終段階「双運次第」で仏果を得る「無学双運」では、行者は光明を証悟して法身を得ると同時に、その所依としての風と識から成る色身である受用身をも得るが、これら二身は同一の本質であって、ただ様相のみが異なり、故に、これを「無二の智身」と名づけ、ここから多くの化身を化作するとする。ここには、風や識などの無上瑜伽独自の要素が見られるが、法身と受用身(=根源的な色身)が一体となった「無二の智身」としての仏身は実質的に、空海が言う「自性受用仏」と同じである。この「無二の智身」または「自性受用仏」と言われる仏身が行う働き(業用=カルマ)こそが、空海の言う「法身説法」にほかならない」
安元剛『密教美術形成史』(起心書房)p.495-496
真言密教が決して半端な段階のものではなく、きちんとインド以来の根っこを押さえたものであることの一旦が垣間見えないでしょうか。無上瑜伽については考え方が多々あり、それを重視しない立場もあるのですが、いずれにしても真言密教の根底にあるポイントはきちんと底まで届いたものなのでしょうね。