प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

技芸

'18.11.30

不退転の菩薩大士は……世間的な芸術や技術の事柄、そのすべてをも、智慧の完成のおかげで、ものの本性(法性)と一致させる。かれはさとりの世界(法界)と関わりのないような如何なるものも見ないで、あらゆるものがそれに導いていくと見る。

『八千頌般若経』

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比丘は歌舞音曲も絵画もNGだし、厳密にはスポーツ観戦や詩文、世俗の物語の類もアウトである。しかし大乗仏教はそもそも当初より芸術的な傾向が濃厚な中から生まれてきた。
それはダルマの俗化ではなく、俗の…誤解を恐れずに言えば、俗の聖化でなくてはならない。在俗のダルマ・バーナカ、居士法師のあり方と同じだ。常にそこを意識していなければ、いつでも僕らは仏教を俗な目的のための消費材にしてしまうし、自己満足の道具、渡世の手段にすらしてしまうのだから。

ちなみに「菩薩大士」というのは、自利利他円満の大乗仏教者を言う。覚りに向かう菩薩だけなら声聞にもあり、利他に邁進する大士だけなら無宗教者でもいる。兼ねて合わせて、はじめて大乗の菩薩大士である。