प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

仏典

'18.11.19

佛は独り我が為に法を説く

『大品般若経』

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仏教には「八万四千の法門」と称されるような膨大な聖典があります。
もっとも基本となる大正新脩大蔵経は、分厚い大判の漢文びっしり三段組みで100冊近くありますが、それですべての文献を収載しているわけではない。それほど膨大であります。
で、どうしてこんなにたくさんあるのか、ですが、仏教学的には様々な回答が可能でしょう。歴史的な増広だの発展を跡づけて行けばいいのです。
しかしそれは学問の話であって、仏教者としてはすべてこれダルマの顕現です。そう受け止めなくてはならない。
ではなぜこれほどの数、種類があるのか。それは「この私」が右往左往して落ち着かず、絶えずふらふらきょろきょろして生き方の背骨が定まらないから、ダルマが色々な現れかたで顕現されていて、縁に応じて目の前に「どん」と座ってくださるのです。「おまえ、聞け!」と。
膨大な仏典は、そういうわけですから、今ここで、この自分にのみ、直接に語りかけているブッダの慈悲にほかなりません。ならばこそ、威儀を正してそれを読むに当たり、面前にブッダがおわすと知らねば、仏典を読んだとは言えないのです。こちらの姿勢がすべてで、仏典を直説とするか単なる文献とするかは、ひとえにそこにのみ関わっています。