प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

宗論はどちらが勝っても…

'18.10.30

摩訶般若波羅蜜多とは、洞達にして底なく、虚豁にして辺なく、心行処滅、言語道断なり。数術を以て求むべからず、意識を以て知るべからず。

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立派な文章ですが、仏典の言葉ではありません。
僧侶の文でもありません。
これは梁の武帝によるもので、『大品般若経』注釈に皇帝自ら序文を書いたものの一部です。
仏智とは限りなく広く深く清浄なもので、心で推し量ることもできず、言葉で表現することもできず、数字で確定的に提示もできず、つまり主客相対の認識という枠ではどうこうできないものなのである、ということです。
根本です。
ところが、そういう表面上の仮の便宜に過ぎないものを振りかざして争う、慢心し蔑視する、そういうことが仏教においても延々と繰り広げられてきたし、今もそうです。
「宗論はどちらが勝っても釈迦の恥」というのは、なぁなぁで穏便に、ということではまったくなく、そもそも争いの根底にある僕たちの認識に関わる誤謬にこそ、その問題の根っ子があることを示しているのではないでしょうか。