प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

応無所住、而生其心

'16.09.12

一部の宗派で言われているような、一般的な修行やっちゃいかんとか、やる必要がない、「それは自力だから」…ということをつらつら考えていたのですが、結局、「まさに心の住するところなくそれを生じなさい=応無所住、而生其心」という、仏教の基本を言うことが本質なのではないかと。
「私が修して、そして誰かを度脱させるのだ」という心は、たとえば「金剛般若経」でもサクッと戒められている基本のキ。

問題は、「だからやる必要ない」ということになるのか、それとも「そのように度脱させることは、実は度脱させることではない」ゆえに「これを度脱させるのだ」となるのか。

様々な行、たとえば「布施行」にしても、「この布施によって誰かをオレが救うぞ」というのはアウトだけれど、三輪清浄の布施は菩薩の行である、そしてそれは菩薩の行ではないと認識するところから、菩薩の行が生ずるのだ、と。

つまり空観を基盤にして、「外面的な行為としては」まさに修行するし布施行もしているわけです。「他力は他力ではない、ゆえに他力という」「自力は自力ではない、ゆえに自力という」境地では、このようになるはずです。

それを殊更に「他力」にこだわると、「他力は他力であり自力とは違う、ゆえに他力である」という、世間的にはしごくまっとうな理屈になりつつ、仏教からは遊離していく。

なんてことをね、徒然に考えていたわけです。

それにしても、「応無所住、而生其心」というのは良い言葉ですね。
前半は自利の基本・後半は利他の基本。一句で自利利他相即円満。