प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

普通ということ

'16.03.16

「つながり」「ともだち」社会を無限定に称賛するのは、
私は嫌いだ。
どうしてそれが大切なのか、根源的に考えるならば別だけれど、
「大切だから大切だ」という、思考停止にはうんざりする。
傷つく者の痛み、ただそこに他者がいるだけで傷つく者の痛みは
決して「普通の人」に理解されることはない。

そうして今日も、「普通」に必死に合わせて、息を殺して生きていく。

夜には涙を流すのだ。

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「普通」は世界に蔓延している
「普通」は暴力的だ
「普通」でないものを排除する
「普通」はそれに無自覚だ

無自覚なだけに
「普通」でない者は恐怖する
恐怖するが、その気持ちが届くことはない
「普通」であることは、「普通の人」にとっては
まったく「普通」のことだからだ
「普通」であることに努力などいらない
そうでない者は我儘だ
「普通」なのだから「普通」にすればいい
何も難しいことなどはない

特殊な世界がある
職人 専門職 趣味の世界
オタク的な世界でもいい
同性愛のサークルでもいい
新興宗教やカルトの世界でもいい
世間から見たら「普通じゃない」世界がある
でもそこに一歩、踏み込めば
そこにはやはり「普通」が蔓延している

それぞれの「普通」である

「普通」は世界に蔓延している
「普通」は暴力的だ
「普通」でないものを排除する
「普通」はそれに無自覚だ

私たちは死ぬまで「普通」から逃れられない

それが私たちの「普通」の世界だからだ

孤立したって、私は「私の普通」から逃れられない