प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

暑さ寒さ

'18.10.08

ある僧が洞山大師に問うた。
「暑さ寒さがやってきたら、どのようにこれを避けたらよろしいでしょうか」
洞山は答えた。
「どうして暑さ寒さのないところにいかないのか」
僧はいった。
「暑さ寒さのないところとは、どのようなところでしょうか」
洞山は答えた。
「寒い時は寒いだけ、暑い時は暑いだけだ」

『碧巌録』

…………………………

暑い寒いを云々して悩むのは、いつも「今ここにないもの」と比較してああでもないこうでもないと思い煩うからだ。
貧乏も美醜も地位もなにもかも、「今ここ」に生きていないから、いつも過去や未来、よそにあって手が届かない何ものかと比べているからだ。
今、暑いかもしれない。そう、ただ暑いのである。涼しいところと比べて暑さを嫌うから苦になる。今ここに涼しさなどないのであって、暑いときは暑いだけである。
今、寒いかも知れない。そう、ただ寒いのである。暖かいところと比べて寒さを嫌うから苦になる。今ここに暖かさなどないのであって、寒いときは寒いだけである。
それだけのことを、暑いときに涼しさを、寒いときに暖かさを妄想して「今ここ」から離れてしまうから、暑さ寒さに振り回されて苦しくなっていく。暑い寒いが苦しいのではない。あなたが妄想によって苦しんでいるだけだ。
貧乏も同じことで、比べなければ貧乏もない。病気も同じ。健康な誰かと比べるから苦になる。貧乏も病気も、それはそういう「今ここ」である、という以上の意味はない。
体がしんどい、食うに困る。それが生活の具体的な不都合であるならば、それを淡々と改善していけばいいのである。
しかしそれによって心が苦しくなってしまうのは、行き過ぎである。暑い寒いで体調が悪くなるなら、改善すればいい。それだけの話だ。「今ここ」でない何かと比較して思い悩むことに意味はない。余計な苦を生むだけである。