प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

布施について

'17.12.11

外の因縁によって忽ち節食を思う 施心萌動して穀の縁に遇うが如し

あるきっかけによって節食や布施の心が起こる。これは縁にあって種が芽を吹くようなものである。

「宝鑰序」

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布施について世間には誤解がある。そもそも布施は修行の項目のひとつであり、利他の施しすべてを指すわけだから、別に金銭に限らない。眼差しや言葉まで含めて、根本は慈悲の心である。そのうち最良のものは法施であり、仏法を伝えることであり、その功徳に随喜し善行を積むために寺院や僧侶に布施を行うのだ。最高の法施の功徳に参与するのである。あるいは祖先が受ける法施の功徳にともに与るためで、そのための法の城たる寺院を護るための布施でもある。
この布施にはだから「定価」はまったくない。布施の志においては、それぞれの状況に従った適切な量があるであろうから。億万長者の百万円などは微々たる額であり、食うにも困る人の千円は死活問題。その中から、まさに利他の喜捨行をなすのである。
つまり、下限も上限もない。あってはならない。「○○以上は出しなさい」というのはナンセンス。また、「○○以上は出してはならない」と施主の行に制限をかけるというのも同程度にナンセンス。
よくよく、僕たちは考えなくてはならない。