प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

変化

'18.03.06

物に定まれる性なし 人なんぞ常に悪ならん 縁に遭うときはすなわち庸愚も大道を庶幾い 教に順ずるときはすなわち凡夫も賢聖に斉しからんと思う

物はいつまでも一定の性質のままではない。どうして悪はいつまでも悪のままであろうか。縁に会えば愚者も聖なる道を願い、正しい教えを習えば凡人も優れた人になろうと思う。

「宝鑰第二」

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「自分はこういう人間だ」「あの人はああいう人間だ」…という風に、私たちはなにごとも自分の考えの中で決めつけて生きています。
ある程度それは当たっています。実際、その通りかも知れません。
しかし、そう決めつけている自分が、他人から「あなたはこういう人間ですね」と言われたとき、大抵の人は「いや、ちょっと待って」と思うものです。「あなたに私の何がわかるのだ」と怒りの気持ちがわくことがあるかも知れません。
人は、自分の持っている常識や知識や経験で何かを判断しますが、それは非常に狭い範囲のもので、他の人の常識や知識や経験とはかなり違うものです。お互いにそこが違うので、同じものを見ても、感じ方や受け止め方も違ってきます。

ですから、自分の考え方や見方が「絶対に正しい」ということは、なかなか言えるものではありません。固定化して、自分の思いに執着すると、必ず他の人と衝突します。親子でも、兄弟でも、夫婦でも同じことです。
そこをしっかりと理解すれば、自分自身のことであっても、思い込んでいる「自分の姿」などは、そう確かなものではありません。不安定なものです。

だからこそ、実は変化させることも出来ます。「こうなのだ」という決め付けを離れて自由な心、大きな視点で見れば、本当はいくらでも自分を善くしていくことも出来ます。もちろん、油断すると悪くなります。
大切なことは、縁です。
様々な縁に取り巻かれて、私たちは生きています。人間、環境、宇宙全部が繋がっています。その中で、私たちは生きています。みんな性格や経験は違いますが、みんな同じ世界に生きているのです。
そうい縁を意識して、善き縁をいっぱいに受けて、自分自身もどんどん良くなります。「自分はもうこういう人間だから」と決めつけなければ、「あなたはそういう人間だから」と思い込まなければ、いくらでも、どんどん善い心は成長して、幸せになれます。

春は命が満ちる季節です。
命に満ちたご縁が、至る所にあります。そういう縁を感じながら、一歩一歩、より明るく素晴らしい心になることを目指して、暮らして参りましょう。