प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

二而不二

'18.02.17

一体をなして分割されざる一つの神を信じて、その性質の多様な様相を思わぬことは、即ち抽象的な一つの神を信ずることである。ーーーもしわれわれが神をそのすべての表れにおいて崇めようと欲するならば、われわれはその表れに一々神の名をつけるであろう。

ロマン・ロラン『ラーマクリシュナの生涯』

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どんな人であれ、大抵は「誰かにとってのその人」です。
ある男性であれば、妻にとっては夫、子供からは父親、祖父母からは孫、両親から見れば息子、弟から見れば兄、職場では課長であり、上司からは部下であり部下からは上司であり、隣の人からは「真面目なご主人」、昔の友人とは同級生であったり、通勤途中にいつも寄るコンビニ店員からは「いつもコーヒーを買う人」、あるいは詐欺師からは「カモ」と見られてるかも知れないし、これに「好き嫌い」という感情を絡ませれば、本当に多様な人間像になります。
しかし、すべては一面的です。すべて嘘ではないし、たしかにそういう「はたらき」をケースバイケースでロールプレイして、「この自分」というものが成り立っています。これらの要素をすべて捨象した「本当の私」などは、どこにもありません。

多様な如来というものもこのようなものです。そしてその「如来」とは、自心の雛型です。同時に、この現象世界の真相なのです。私と如来、世界と私というのは、二而不二です。