प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

蓄積と調理

'18.02.14

道うことなかれこの華今年発くと まさに知るべし往歳種因を下すことを 因縁相感して枝幹聳ゆ 何にいわんや近日早春に遇うをや

この花は今年にわかに咲いたのではない。往年に種が植えられ、過去の因縁がととのって枝幹が伸び、この春に開いたのである。

「拾遺雑集七」

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その道のプロに適切な対価を支払わなかったり、あまつさえ「ボランティア」を強要する風潮が最近目に付きます。マスコミや行政からしてそういう態度だったりします。
たとえば職人さんがいたとして、簡単な木彫りひとつ彫るのに、どれだけの修練や時間やお金をかけてそこに達したのか、という視点が欠けています。「材料費がこのくらいで、普通時給はこんなもんだろう」というだけのことです。
安易な学歴否定や公務員批判も同じ。現状だけを取り上げて「同じ人間なのにけしからん」というのですが、彼らがそこに至るまでの勉学の努力あってのこと、という面もあります。そこは素直に認めていいんじゃないでしょうか。世俗の事柄に「見返り」はあるものです。その上で、適切な範囲を考えたらいい(もっとも、公務員の大多数は甘い汁なんか吸わずにバッシングに耐えながら地味な仕事をコツコツやっていますけれど)。

仏道も同じです。
一朝一夕に悟りなどありません。信心や信仰も熟されて確立していきます。何かあってからでは間に合いません。知識や見識も短時間ではどうしようもありません。若い頃からの研鑽や、あるいは自覚的な反省的思考を積み上げているからこそ、花開くのです。社会経験や人生経験は大切ですが、経験してるだけでは無意味です。食材を積み上げても、調理できなきゃ腐ってゴミになるだけです。そうして、調理方法の習得には努力が必要です。

徒に馬齢を重ねることを恐れ、精進していきましょう。