प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

総合的な視点

'16.11.30

未だ有らず、一味美膳をなし、片音妙曲を調ぶ者は

弘法大師、性霊集からです。

たったひとつの味、たとえば塩味だけで美味い料理というものは難しいし、たったひとつの音、「ド」だけで名曲を奏でることも難しい、という意味です。
仏教も同じことで、もちろん足場となる思想は必要です。入り口として、足掛かりとして、色々な宗派や教派があり、また経典や論書があります。これらは足掛かりですから、本当の本当の本当の部分、空性などはそれそのものに限定された狭いものではありません。
しかし僕たちは、そのひとつの「足場」を使い、進むしかないのです。言語を超えるには、言語が必要です。

その場合、「他の立場」「他の宗派」「他の教派」「様々な経論」なども、きちんと斟酌しながら、自分の道を歩くのが大切ですし、理解を深めていくことになります。
たったひとつの立場に固執して、たったひとつの立場のみ尊いという考え方では、たぶん、道の進みがとても遅くなります。間違える可能性も高くなるでしょう。料理や音楽が総合芸術であるように、宗教や仏教も総合的な構想や視点が不可欠です。

一例。
弘法大師の言葉も、伝統的な真言宗の立場だけで考えたら、理解が薄くなるかも知れません。広く仏教全体を視野にして比較しながら考える、とりわけ今の時代は真言密教と兄弟宗派であるチベット仏教を学ぶことも容易です。チベットの視点から弘法大師を見直してみると、驚くべき同一性も感じられます。
これは、チベットを上にするということではありません。弘法大師の意図を、より正確に、実践的につかむのに有用、ということです。
ちちろんチベット以外にも、天台や浄土、他宗教も非常に有益に参考になります。

勉強することは果てしがないです。

そしてそれをもとにして実践するに至っては…。

六波羅蜜の精進は、すべての仏道の根底でそれらの成否を決します。
頑張らないとなぁ…怠け者としては、結構、ドキドキします。