प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

主なる神とは

'15.11.23

「マハーバーラタ」より、ユディシュティラの言葉。
引用は、ヴィヴェーカーナンダ『シカゴ講演集』。

ヒマラヤ山をご覧、わが妃よ、
彼らは何と壮大で美しいのだろう、
私は彼らを愛する、
彼らは私に何を与えるわけでもない。
しかし私は生まれつき壮大なもの、美しいものが好きだ。
それだから山々を愛するのだ。
同様に、私は主を愛する。
彼はすべての美しいもの、
すべての荘厳なものの源でいらっしゃる。
彼は愛されるべき唯一の対象である。
私は生来、彼を愛する。
それだから愛するのだ。
私は何もお祈りはしない。
私は何ひとつお願いはしない。
彼はお好きなところに私を置いてくださるがよい。
私は愛のために彼を愛さなければならない。
私は愛で商売をすることはできないのだ。

「神」「主」というと仏教徒としてはわかりにくい、
あるいは受け入れがたい、という意見があるかもしれない。
しかしここでいう「主」というものは、
それは絶対的な不二のものであり、「海」のことである。
海は全体の働きを以て、私と言う「波」を「お好きなところに」置いてくださる。
波は海、海は波であるのだから、いったい、誰がどこに対して祈るというのだろう。

そして、山は「ある」のだ。
それ以上でも以下でもなく、その山の全体が私の心となる。
世界のすべてが山となり、一致して、そこにはもはや「主」もなければ、「私」もない。
一大真如海。
そこにはもう、「山」というものはない。