प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

'10.05.23

この世は橋である。だから渡っていきなさい。そこに家など建ててはならない。

インドのデリー郊外にあるアクバル大帝の旧都、ファティープル・シークリーに碑文があり、上記の言葉が刻まれているそうです。私も一度、そこを訪れたことがあるのですが、この碑文の事をその時はすっかり忘れていて、きちんと確認するのを忘れていましたが…。

家というのは、もちろん比喩的な表現です。

いったい家とは何か。

恐らくそれは、執着・未練…渇愛・無明によって作り出される、この世の諸々のこと。お金やステイタスはもちろん、愛する人やこの世の「生き甲斐」があるのは勿論良いし必要なことだけれど、それを永遠のものと思ったり(或はいずれ消えていくという事実から目を逸らしたり)、それを失ってしまった後もその幻影にしがみついていくこと。

橋を渡るときは懸命に渡らねばならないでしょう。そうでないと、落っこちます。この橋は恐らく、手摺や安全装置がついていない。だから彼岸に渡るまでは、一心に渡らなくてはならない。
そこに立ち止まり、家を建てるとたちまち橋ごと崩れていく。

人はこの橋をそそくさと渡って行くしかない。橋の終りは靄がかかって見えず、長さは渡っているうちはわからない。ある日突然、人は最期の一歩を踏み出しているのです。

でもこの橋は、別に目を伏せて渡る必要はありません。どこで終るか見当がつかなくとも、橋を渡っている束の間、この橋から見渡せる素晴らしい景色を、私は心に刻んでいたいと思います。
釈尊が最期の旅に出立する時、ヴェーサーリーを振り返って呟いたように…。

アーナンダよ、ヴェーサーリーは楽しい。ウデーナ霊樹は楽しい。ゴータマカ霊樹は楽しい。サッタンバカ霊樹は楽しい。バフプッタ霊樹は楽しい。サーランダダ霊樹は楽しい。チャーパーラ霊樹は楽しい。
世界は美しいもので、人間の生命は甘美なものだ。