प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

自分探し

'10.05.22

・質問

「自分探し」というのがありますが、自分は自分ですよね。
では一体、何を探すのですか?

・答え

本当の自分を探すのだ…という、「自分探しの旅」が流行っているそうです。
引退した有名サッカー選手も金にモノを言わせて世界中を放浪し、「自分探し」をしているようですが…果たして見つかる兆候はあるのでしょうか。途中経過を聞いてみたいものです。

さて。

「自分じゃないもの」はすべて、「自分自身の片割れ」です。
世界は本来、「我・彼」を超越した「唯一の存在者」でしかないのですが、人間はそういう世界の本質をダイレクトに理解できないように出来ていますので、仕方なくその「一」なる世界を「我・彼」に分割してから、認識しようとしています。
たとえば、「自分」というのは主観です。その「自分」が考える「対象」はすべて客観ですが、「自分は…」と考えた瞬間から、その「自分」は客観に転じていますね。目は自分の目を見る事が出来ません。認識された世界はすべて客観だけで組み立てられています。
「自分」ですら「自分でないもの」に過ぎないのですが、それを見ている・分析・認識している「見えない自分」というものがあります。これこそが主観です。

で、この主観と客観が分裂する以前の地点に、本当の世界というものがあります。

まず、こんな「見えない自分」を発見するのに、どういう方法があるでしょうか。そしてそもそも「見えない自分」すらも、本当の一なる世界に耐え切れずに「夢想・妄想」の中に逃げ出し迷い出た妄想の起点でしかないとすれば…。

自分探し。

いったい人は、何を探しているのでしょう。
この問題は、どう扱い、どう考えたら良いのでしょうか。

なかなか面白い問題ですから、一生かけて考えてみてください。その「考えている自分」とは何なのかを「意識」しながら…。