प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

成就の人とは

'18.02.12

真言の果は悉く因縁を離れたり

真言は、すべての因縁から離れた真実の言葉である。

「大日経開題 法界」

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座禅、念仏、題目、三密行、読経、持律堅固、学道…仏教の修行には様々なものがありますが、どの道でも構いません。形式自体は決定的なものではないのです。問題はそこではなく、それぞれの行をどのような心で行うか。そこです。
根本にあるのは、因縁あるいは主客相対の観念が虚妄のものであり、それを滅尽して有無主客相対を絶した境地こそ真実であると知り、その上でこの分節された世界を生きていくこと。それを成就する手段となりうるならば、どの方法でもOKです。しかし何かしらの区別や相対を強化するのであれば、どれであってもアウトです。
なので、同じような実践をしていてもOKの人もいればアウトの人もいる。「凄い行者」「高徳のカリスマ」でもまったく世俗の枠内で高みにあるだけの人もいるし、平凡で何もしていないようでいて成就する人もいる。