प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

4つの「しん」

'16.01.14

今年もスタートしてしばらく経ちましたが、お変わりなくお過ごしでしょうか。
私は「本厄」の年ということで、今まで以上に生活全般、気を付けて過ごさねばと思っているところですが、みなさんも平穏無事な一年になりますよう、お祈りしています。

さて、「平穏無事な生活」といいますが、具体的には「果報は寝て待て」のように、ゴロゴロしていてそれが得られるというものではありません。「人事を尽くして天命を待つ」のように、やはり私たちもちょっとした「努力」をする必要があります。
その努力とは、ではいったいどういう事をすればいいのか…ですが、それは「四つの『しん』」というものを意識して生活する、ということです。
四つの「しん」とは、漢字で書くと、「身・心・親・信」です。

ひとつめの「身」は、自分の体に気を付けて生活する、ということです。
お釈迦さまは、人間の苦しみは「生老病死」が根底にあると言い、これらは避けがたいものであると仰せになりました。確かにそれはそうなのですが、しかし今、いただいている「自分の体」を大切にして、なるべく穏やかな状態で毎日を過ごさせていただきたい…という気持ちは大切です。その為に、出来る範囲で体を動かす、体操やウォーキング、手を使って書いたり掃除をしたり、あるいは食事に気を付ける、しっかり休養するなどが大切です。

ふたつめは「心」は、自分の心に気を付けて生活する、ということです。
これは、「怒り」「貪り」「無知」の心を意識して、それを飼い馴らすということです。なくすことは難しいですが、そのような「悪い心」に溺れたり放置するのではなくて、「あぁ、今、自分は怒ってるな」「自分は何かに執着してしまってるな」「道理のわからない心になってるな」と気づいて、それにつかまらないように、平らかな心であるように「落ち着く」ことを意識する。これが大切です。

みっつめの「親」は、色々なものに親しむ、ということです。
好奇心を持って、好意・プラスの心をもって、色々なものや人と親しんでいくことです。良い意味での好奇心がなくなると「なんだそんなもの、つまらん」という考え方が癖になり、生活全体がどんどん暗くなったり、「楽しい」という気持ちが消えてしまいます。野次馬根性は感心しませんが、いつも新鮮な気持ちで他のものや他の人に親しもう、としていると、生活で良い回転がどんどん自分に集まってきます。

よっつめの「信」は、信心です。
私たちの小さな心では計り知れない、目に見えない大きな力というものが世界・宇宙にはあると信じることです。自分の常識や思い込みなどは、本当に小さなもので、この世界の裏には本当に大きな力が働いておられて、すべてはそれに包まれているのだと信じることが大切です。それを信じることは、宇宙いっぱいの大きな命に根っ子を繋げるということで、信がないと根無し草になってしまい、いざという時に「包まれているという安心感」が得られません。仏教ではこの「宇宙いっぱいの大きな力」を「大慈悲の心」「仏様の心」と受け止めて、そこに手を合わせて根っ子を下ろさせていただき、母のような大きな力に、自分の魂をお任せするのを、「信」と言います。

この「よっつの『しん』」を意識して毎日を過ごすことが、「平穏無事な生活」にとってとても大切なことです。
元気な時にも、病気になっても、色々と困難な状態になっても、ラッキーが続く時にも、良きにつけ悪しきにつけ、この心がある人は、たとえ死を目の前にしても、「平穏無事」な人になります。
子供のように素直な心で、この「よっつの『しん』」を意識して生活してみてください。必ず、仏様の御加護があります。悪い事には絶対になりません。
今年一年、平穏無事に、仲良く、楽しく、感謝と笑顔で暮らしていけることを、ちょっとした努力とともに、ひとりひとりが願いつつ…一層、仏様に手を合わせる生活を心がけて参りましょう。