प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

仏教と科学

'15.12.09

ブルーバックスの『輪廻する宇宙』という宇宙物理の入門書の中に、ダライ・ラマについての話が出ています。

著者がダライ・ラマと科学者の対話の場に出ていた時の事、著者は転生について、「たとえばダライ・ラマの転生と言うものは、間違って他の天体に転生してしまうという事は起こらないのですか?」という質問をしようとした時、ダライ・ラマが「科学はユニバーサルなもので、宗教はローカルなもの、地域と結びついたものだ」という趣旨の発言をしたと書いていました。それでどうやら著者は納得し、科学者としての普遍的使命を改めて感じた…ということだそうですが、さて。

さてさて。

うーん。

納得できたんですかね、これで本当に。
科学者としてはそうかも知れませんが、仏教の立場として、これで納得いくでしょうか。

いかんだろ。

では、改めて「たとえばダライ・ラマの転生と言うものは、間違って他の天体に転生してしまうという事は起こらないのですか?」という質問、これについてちょっと考えてみます。

私としては、まず「我々は他の天体に生まれる可能性はあるけれど、ダライ・ラマについては他の天体に生まれないでしょう」というのが、答えです。
まず我々は凡夫ですし、死んだのちにどういう輪廻の軛に囚われて引きずられていくのかは予測できないですし、宇宙のどこに「飛ばされるのか」、そんなことはわからないことです。他の天体である可能性も、少なくとも同じ空間内の連続の中にある以上は、その可能性はないとは言えない。まあでも多分、それなりに縁のある場所に引きずられていくでしょうから、多分、地球でしょうが。
日本海に没した波のエネルギーが次に出て来る時、多分それは日本海かその周辺でしょう。インド洋にいきなり出て来るとは思えない。ただ、つながってはいて、絶対にないとは言えない…。
で、ダライ・ラマ。
ダライ・ラマは観世音菩薩の化身ですので、少なくとも「観世音菩薩の転生」ということで言うと、その転生は我々凡夫と違って、誓願と慈悲による転生なわけでしょう。輪廻の軛によるそれではなく。
であるとしたら、その転生は衆生の苦に向けて、その求め、信仰に応現して転生してくださる、と。少なくとも、「ダライ・ラマ」という個別化された聖なる存在の転生を求め渇仰している衆生は、チベットあるいはその近辺にあるのではないかと。だからきっと、アフリカやアマゾンの奥地にも、転生はしない。
他の天体にももしかしたら、「そのような存在」を渇望する衆生はいるのかも知れないけれど、そこにはそこに相応しい「何者か」が現れるのではないかと。もちろん一真如という立場で言うのなら、それはダライ・ラマであれ仏菩薩であれ我々であれ、これと決してまったく別の何かではあり得ないけれども、個別化された聖なる存在としては、とりあえず別の何ものか。

こういう点を指して、ダライ・ラマは「科学はユニバーサルなもので、宗教はローカルなもの、地域と結びついたものだ」という発言をしたのかも知れませんが、でも単にこの言葉だけを見てしまうと、科学の風下に仏教がある、と誤解を招いてしまいかねない言葉だな、と、それはちょっと思いました。

そもそも科学と仏教の関係性についてですが、たとえば唯識の三性説とかで考え見たらいいんじゃないですかね、と。
三性説。wikiからそれを抜粋すると…。
  ・遍計所執性  構想された存在、凡夫の日常の認識
  ・依他起性   相対的存在、他に依存する存在
  ・円成実性   絶対的存在、完成された存在
仏教と言うのは、依他起性の現実世界を前提として、その世界に対する遍計所執性の認識を転じて円成実性の覚に至る、ということでしょう。
科学は、依他起性の世界をより正確に記述していくこと。
仏教においても、円成実性の世界を実現するためには、この依他起性の世界をしっかりと認識していかないとダメなわけで、そういう意味で科学は強力なツールになる。だから決して矛盾はしていない。むしろ、依他起性の世界のありかたをしっかりと認識するには、科学的な視点というのは仏教以上に厳密な視点を提供する可能性がある。ここに関しては確かに、科学は突出して優れていると思います。
しかし、科学では遍計所執性と円成実性に関してはまったく、タッチできて来ない。もともと依他起性の世界の厳密な考察と研究に特化したものであるのだから、それは当然のことで。遍計所執性に関しては、たとえば「生命倫理」などでその考察の手を伸ばしてきてはいるけれど、その分野に足を踏み込むと、早速そこには「宗教」というものが待っているわけです。

だから、科学は別に宗教に優越しているわけではなく、宗教が科学に優越しているわけでもない。
それらは同じ「この世界のあり方」について考えるものではあるけれど、その方向性が違う。

まぁ、そんなことは私なんぞに言われるまでもなく、『輪廻する宇宙』の著者もダライ・ラマも先刻ご承知の事と思いますが…。