प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

七仏通誡偈

'12.10.28

仏教の最終的なところは結局どこに行き着くのか…と考えると、それは儀礼でも読経でも行法でも禅定でもないな、と。もちろん学問や僧俗の別や宗派というものとも違う。
今挙げた諸々の事は、結局は七仏通誡偈を実現するための過程でしかない。

諸悪莫作
衆善奉行
自浄其意
是諸仏教

この中の、「善悪とは何か」「意を浄くするとは何か」という事に関しての膨大な注釈が「仏典」であり、その方法論の提起が様々な実践法であって、そういう「学」や「実践法」自体に価値があるわけではなく、それそのものが仏教、ということでもない(もちろんこういう行学は覚の実現のために不可欠で意義はあるが、それ自体で別個独立した意義はない、ということ)。
そこを踏み外すと、やれ「この教学が正義」やれ「この実践方法だけが正しい」というような、ズレた議論が出てくる。挙げ句の果てにはそれで派閥を作って徒党を組み、世俗的な権力・利権の奪取と確保に汲々となっていく。

過程と目的を混同すると、ロクなことはない。

道路は何のためにあるのか。立派な道路を作るために、苦労してダイヤモンドを敷き詰めてどうするのだろうか。そしてその道路の立派さを誇示してどうなるのか。
私は道路も必要だし大切だけれど、それよりも目的地の方が大切だと思っている。そしてそれに資する限りにおいて、より自分の歩き方に適合した道路があれば幸甚だが、それはダイヤモンドである必要はないし、目的地にさえ繋がっていれば、何なら未舗装の道路でも構わない。