प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

怒りと仏者

'12.09.07

何かしらの問題が惹起された場合、敗北主義・事勿れ主義で譲歩してしまうのではなく、それでいて怒りの心や自我意識を持たずにパワフルにそこに対処していく事は難しい。人間の表層的な心はとても弱いから、何にしても「行動の力」というものを、もっとも安易な「怒り」に源泉をもとめてしまい勝ちだ。
怒りというものは、その本質を保持したまま様々な形態を取るものだけれど(高慢や自己弁護、冷酷や無関心、あるいは野合や孤立への逃避も「怒り」と根は同じだったりする)、それらすべてを慎重に見極めて排除しつつ、冷静に事象を見つめて公正な判断を下し、それでいて力強く卑屈も先送りも介在させない…果たして凡夫にそんな芸当が可能であろうか。恐らく、完璧には無理だろう。
しかしあくまでも仏教徒であれば、そうあるべきが理想である。そうあらんがために仏法はあるのだから、理想を胸に置きつつ、七転八倒しながら生きていくことが、結局は私たち仏教徒の生活、ということになるのかも知れない。