प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

三学のマラソン

'18.01.24

百歳八万の法蔵を談ずれども 三毒の賊いかんぞ調伏せんや

百年間も八万四千の経文を論議したとしても、はたして心の闇の問題は解決できるのだろうか。

「性霊集十 理趣経答書」

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無益な議論や衒学的な論議はもとより言うまでもなく、まともな仏教の学習においてすら、そこに止まっていればどうしようもない。知識が自ずからあなたを導くわけではない。
博学の仏教学者が果たしてそのまま覚者であろうか? そう見えたとしても大抵は知識と口八丁に幻惑されているだけで、そんなことはないのである。ましてSNSに跋扈する有象無象の「言論人」や「センセー」など言うまでもない。

しかし知識がまったく無用ということではもちろんない。

マラソンをするのに、そもそもゴールの場所も知らないとすれば話にならないようなものだ。天候や補給所やペース配分の知識も有用だろう。同様に、仏法の知識もある程度は知らねばならない。
しかしそれらに熟達したとしても、結局はあなた自身が走らなくてはゴールには決してたどり着かないのだ。
だから今すぐに戒というシューズを履き、定という道を走り、慧というゴールに向かえ。走りながら、知識も学べ。