प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

四句の偈

'18.01.09

『金剛般若経』の真髄は、最後の応化非真分第三十二にあります。人口に膾炙するのは、禅宗方面でよく言及される「応無所住而生其心」(荘厳浄土分第十)ですけれど、経典としての真髄は、紛れもなく応化非真分第三十二。
ここに「この経典の四句の偈等を持」すれば、あらゆる善行功徳を超越するというような事が説かれます。

で、金剛般若経において偈は二カ所にしかなく、比較してここでの偈は、まさに応化非真分第三十二を措いて他にはありません。

その偈とは、

一切有為法 如夢幻泡影 
如露亦如電 応作如是観

です。
すべての作られたもの、客観視できるあらゆるモノや観念などはすべて、夢のようなものであり、幻、泡、影、また露であり稲妻のようなものであって、移り変わる実体なきものに過ぎない。まさにこのように世界を見なさい…。

そして、「だからこそ」この世界のあらゆるモノや観念などはすべて、実際に存在して作用しているのである、ということ。すべては、あるわけではない。だからこそすべては厳然とある。
それを知れ、と。

これが仏教の世界認識のすべてです。これを踏まえてはじめて、「応無所住而生其心」、つまり「心をどこにもとどめることなく、その心を起こせ」という言葉が意味を持ちます。

このような世界認識と心のあり方を現に実現している「その事態全体」を貫くものがダルマであり、般若です。

金剛般若経末尾のマントラはそのような事態を余すところなく標示していますが、これは密意に属することでもあるので言及はしません。
しかし取り敢えず「一切有為法 如夢幻泡影 如露亦如電 応作如是観」。これを踏まえていなければ、どのような仏教的立場であれ、その知識を如何に積み上げても虚しい、ということだけは言えるのだと思います。