प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

生き甲斐

'17.07.06

年齢を問わず、人には「生き甲斐」というものがあります。ただその内容は人それぞれなので、それらの優劣や上下というものはありません。
具体的には、仕事や趣味が生き甲斐であったり、子供や孫の成長、花やペットの世話、何かの勉強や家事・料理、人と喋ることや地域活動などが生き甲斐になってる人がいるでしょう。
「生き甲斐なんか特にはないよ」という人もいるでしょう。でも心のどこかで「何か生き甲斐や趣味があったらなぁ」と思う人も多いようです。

生き甲斐というのは、必要なものでしょうか?
趣味などはないといけないものでしょうか?

それが必要かどうかは最後に改めて考えたいと思いますが、まずは取り敢えず、「生き甲斐」というもの自体について少し、考えます。

「生き甲斐」について考える場合、気を付けるべきことがふたつ、あります。

ひとつは、特に仕事や「何かの成果を求める」生き甲斐の場合、好き嫌いよりも「出来るか出来ないか」という、自分の能力のほうが問題だということです。
弘法大師は「能力と仕事が合致すればうまく運ぶけれども、適格でなければ苦労するばかりで利益がない」(性霊集) と書いています。「好きなこと」に適性があるとは限らない。好きなことを十分にやるには、適性がなければいずれ嫌になる。まずは自分の性格や能力や適性を見極め、何をしたら有意義かを知ること。そして努力せよ、ということです。
「あまり好きじゃないなぁ」と思うことでも、出来ることをやり続けていれば得意になっていくし、やりがいも出て楽しくなり、生き甲斐になっていくものでしょう。

ふたつめに気を付けるべきなのは、「生き甲斐」に執着しないことです。
仕事もいずれ引退する時期が来ます。趣味もいずれ、やめる時が来ます。子供や孫も巣だってしまいます。依存しても仕方がないんです。
「生き甲斐だから」と、自分の生活や考えをそれ一色にしてしまっていると、仕事を辞めたサラリーマンが腑抜けになるように、自分の人生を見失ってしまうことになりかねません。
生き甲斐というのは、あくまでも人生のスパイス、添え物です。メインディッシュは、裸の自分、このひとりの自分が生まれて死んでいく、その人生全体の意味をちゃんと見つけて、「生まれてきて良かったなぁ」と思い、感謝の心で周りの人に向き合って底抜けに善い心になっていける、そんな自分になることです。

メインディッシュだけだと味気ないと思ってしまうのが人間ですから、生き甲斐というスパイスは大切にしてください。それも必要です。
でもそれにこだわり過ぎて、自分の心を育てていく気持ちを忘れないようにしましょう。
「自分には趣味がない、仕事もない、これといった生き甲斐もない、だから何かしなくては」という声も時々、聞きます。でもそういうものは、ないならないで良いのです。それはスパイスです。それがないなら、メインディッシュの素材の味をこの人生でじっくり味わえば良いのではないでしょうか。