प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

善友

'16.10.06

明恵上人の『光明真言土沙勧信記』という本に、

浄信みづからひらけず
かならず近友聞法の開発をまつなり。
其の開発をまつと申スは、則チ正法をきゝて
ふかく信受するこゝろをおこすなり。

という言葉があります。
「清らかな信心と言うものは必ず善友を得ることと聞法を深めてこそ現れる、
その正しい法を聞いて深く信じて受持することが肝要である」
というような意味です。
正しい法を聞いて信心を起こすのはわかりやすいですが、
「近友」つまり「善き友」が「必ず」大切だとも説かれています。

釈尊はかつて弟子のアーナンダに、
「善い友を得るのは、修行の半ばを達成したようなものでしょうか」
と問われたとき、
「いや、それは修行のすべてである」と応えられました。

善き友とは、飲み友達、遊び友達、旅行友達、…ではありません。
楽しい時だけ傍にいる者は、困難な時には寄ってこないものです。
これは釈尊によって、「悪しき友である」と言われています。

善き友とは、「善友」また「善知識」と言いますが、
人生の本当の事、仏道をともに歩む者のことです。
また、それを歩むことを助けてくださる周囲の人々のことです。
ですから、それは同輩、先輩、後輩、いずれの場合もありますが、
もっとも重要な「善友」というのは、師あるいは先達のことです。
また、ともに道を求め歩く同輩のことです。

そのような「友」をこそ、「近友」「善友」といいます。

『三十七の菩薩の実践』という本には、
そういう「友」とどう付き合うべきかが書かれています。

その人に従えば欠点がなくなって
功徳が上弦の月のように満ちてくる
そのような善友を自分自身の身体よりも大切にする
それが菩薩の実践である

このような人に出会ったら、大切にしてください。
今生だけでなく、そのような人とは来世来々世、生生世世、
かならず縁が熟して続いていくものです。