प्रज्ञापारमिता
~仏教のおはなし~

仏教の歌・三密

'16.10.07

仏教には「歌」があります。

真言宗であれば、インドの言葉・漢文・和文によるものがあります。
インドの言葉というのは、たとえば法事の時に「前讃」というものがあります。漢文なら「後讃」です。
これらはポピュラーなものですが、このふたつはいわゆる「声明」と言われるものです。
和文のものは、「御詠歌」「和讃」と言われるものですね。

さて。

仏教においては、身と口と心の三業を正しく「運用」することを求めます。
この三つ以外の行動を取ることは、人間には出来ません。
この三つが四六時中、正法に則って自然に清らか(無執着)に為されるものを「仏」と言います。
それが出来ないのを、凡夫と言いますね。
そしてその「仏」と「凡夫」の間に、「菩薩」があります。
菩薩は、仏に向かって修行する者ですが、その菩薩は仏になるための修行、プラクティスを行います。

プラクティスにあっては色々な方法があります。

正統的には、たとえば「戒」を守り「定」を修する、六波羅蜜や四無量心を実践する…等々。
そうして、声明や御詠歌もその「修行」のひとつです。

先に三業の話をしましたが、御詠歌は、身を正しくして鈴鉦を持ち、口に詠歌を唱え、心に歌詞を念じます。
この時、三業がすべて仏に向かっています。
正法に則って、自然に、清らかに、三業が三密となっています。

歌っている間は、このように、「あなたは仏です」。

が、悲しいかな、たぶん終われば凡夫ですね。

しかしこれを続けていくことで、徐々に身口心が清くなります。
薫習と言います。
意識して、真剣にこれを修めていくことは、そのまま仏業です。成仏です。

御詠歌に限らず、日々の仏壇前での勤行も同じです。座禅も念仏も題目も行法もマントラも、すべて同じです。
仏の働きなんです。
いずれ、日々の生活のひとつひとつに慈悲や智慧が浸透します。「ダルマ」が貫いて来ます。
少しずつかもしれませんが、決して後退しない、確実な道です。